例えば人と待ち合わせをしたとします。
それに遅れる事が決定的になったとします。
1)遅れます。
2)待たせて申し訳ありませんが、遅れます。
と言うのとどちらが良いだろうか。
最近こんな事ばかり考えてます。
「遅れる」というこちらの意図を相手に伝えるなら、どちらでも良いような気がします。
ただ、1)の場合はこちら側の事情のみを相手に伝えているのに対し、
2)の場合は申し訳無いと相手に対する配慮が加わっています。
そういう意味では2)の方がベターなんだなぁ…と解説まで考えてしまいます。
なぜこんな事ばかりを考えるのか?と言うと、
医師国家試験に、このような問題が出るようになったからなんです。
この系統の問題が出るようになった当初は何でこんな当たり前の事を聞くのだろ?と思っていたのです。
しかしある事を思い出したのがきっかけで、より一層考えるようになったのでした。
***僕が研修医だった頃の話***
ある方が病院で闘病生活を送られてました。
その方は不治の病で、明日にも命の灯火が消えそうな状態でした。
医療者は科学的な根拠で、治る事が無い事を知っていました。
当然ご家族も理解して下さってました。
でも、ご家族は心の片隅に奇跡を期待するのでした。
もちろん奇跡など起こる事が無い事は、頭では充分わかってます。
でも期待してしまうのです。
当時の僕は、このでもという気持ちの配慮に欠け、ご家族に辛い思いをかけてしまいました。
その事をご家族とのやり取りの中でやんわり伝えられ、自分の配慮の無さを猛烈に反省した事があります。
「あっち側」と「こっち側」。
僕は対話をする時に、この様に簡単に考えます。
こっち側だけの都合のみ伝える訳には行きません。
あっち側の気持ちを考え、配慮した上でこっち側の都合を伝える事が大切。
上記の経験は、僕の頭の中でこの事が明確になった瞬間でした。
そのある方は、その後一時的に意識を取り戻し、
命の灯火が消えるまでご家族と馬鹿話をしたそうです。
病院から、ある方とご家族が帰宅される時に
「せんせいから頂いた奇跡の時間でした。ありがとうございました。」
と言われました。
当時若かった僕は、黙って頷くしかありませんでした。
でも僕は心の中で、
「とんでもありません。それは僕じゃありません。
僕はただ見るだけしか出来ませんでしたから。
ご本人さんのがんばりを見た神様からの贈り物だと思います。」
とつぶやいてました。
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あれから十数年の時間が過ぎています。
人間40歳を超えると色々考えるものですね。
最近以前にも増して沢山の方々とお会いする機会が増えています。
あっち側とこっち側。
あの時の神様からの贈り物を思い出に
一人ひとりとの出会いを大事にしていきたいと思います。
※いつに無くしりあす(+_+;;)\バキ!!